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2022年01月19日

時代の遍歴(2009.01さぶろぐより再掲載)

 
昨年10月亡き父(97歳の日記や書類を整理している。
 明治、大正、昭和、平成の時代を生きた父である。
 半農半漁で生計を立てていた時代が長かったが、
 昭和10年代の青年時代から米作りの研究に没頭し、
 地域内では変人扱いもされていたとのこと。

  上ノ国町は江戸時代から米作りがなされ、
 松前の殿様に木ノ子地区から米が献上されている。
 北海道の米作は北斗市大野文月となっていますが、
 上ノ国町が先に米を作っていたと言われていますが、
 裏付ける資料が発見されなかったため、
 米作発祥の地にはならなかったと聞いている。

 江戸時代から昭和20年代の始め頃まで
 米の苗作りは「水苗代」(田圃の中に畝を作り水を張る)で苗作りをしていたので、
 苗が弱く育ち一株に6~10本も植え、
 反収も2~3俵の収量よりなかったのである。
時代の遍歴(2009.01さぶろぐより再掲載)


 父は昭和11年に道立琴似農業試験場の技師と一緒になって
 水苗代から初めて陸で米の苗作りをする「温床苗代」こ取り組んだ。
 昭和16年は冷害で米がとれなかった年であったが、
 父の日記帳には我が家では平均反収3俵半と書かれており、
 また、各品種ごとの収穫量も記載されていた。

  また戦時中は化学肥料など購入することが出来なくなったため、
 地域のそれぞれの区ごとに農家が出人区をして
 雑草を刈り取り馬糞などと混ぜて堆肥作りをし
 魚粕と一緒に田畑の肥料として使ったのである。
 当時は田圃の周りや畑の周りなどには
 雑草などのばしておくことなく、
 すべて堆肥づくりに刈り取っていたと父から聞いたものである。
時代の遍歴(2009.01さぶろぐより再掲載)


 時代の遍歴を経てきた現代農業の姿は
 改めて見直して行くことが求められているのではないか。
 日本の食料の自給率を引き上げなければならないことは
 農業者任せの問題でない。
 国民も自らの問題として真剣に考えなければ、
 何時でも腹が減ったときには食い物があると思っていては
 安心して喰うものが喰えない時代がくることを考えることである。

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