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2012年02月25日

「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船



「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」・勝海舟も乗船

「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船

25日、上ノ国町総合福祉センタ-を会場に
「上ノ国町連続歴史講座」が開催され、
町内と松前町や江差町などから40人余りが出席。

町教委塚田学芸員が
「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」について報告しました。


「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船

昇平丸建造の経緯は、
薩摩藩が提出した「琉球大砲船建造届書」が、
幕府から嘉永6年(1853)4月に許可され、
5月に桜島瀬戸村(現鹿児島市黒神町)に造船所を設けて、
当初琉球大砲船として建造された。

その後、改造し大砲10門、臼砲2門、小口径自在砲4門を
搭載するなどして洋式軍艦として竣工。

昇平丸は嘉永6年(1853)9月、
江戸幕府の「大船建造解禁令」の前後に、
薩摩藩が他藩に先駆けて(日本で日本人の手によって)
日本で初めての建造に着工(1853年5 月)した洋式軍艦です。

竣工までに約1年7ヶ月費やしたため、
鳳凰丸(幕府)が6ヶ月遅れて着工しましたが、
明治3年旧暦1月26日に上約6ヶ月で竣工したため、
海上航路に出たのは2番目となった。


「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船



「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船

平成4年に上ノ国町の有志で結成された
「浪漫倶楽部上ノ国」が昇平丸の遭難に関わる資料調査、
沈没箇所木ノ子(大安在猫沢)の明確化、伝承事実の解明などを目的として、
講演会や模型の製作などを行い周知活動を実施しました。


「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船




「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船




「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船

昇平丸は幕府に献上、海軍の練習船として使用され、
安政2年(1855)勝海舟を乗せ、
品川を出港して48日間を経過して長崎に着いています。

明治2年(1869) 9月、明治政府から北海道開拓史へ移管され、
函館もしくは銭函行の米などの物資の輸送船としての役割を担い、
明治2年12月24日函館港を出港、正月19日脇澤海岸に碇泊、
24日大嶋沖で風烈で漂流、26日烈風大波により木ノ子村字猫澤濱で沈没。

乗組員19人の内5人溺死しています。

昇平丸は日本人の手で初めて建造された洋式軍艦ですが、
日本製の洋式軍艦は、その当時や近代に至るまで
歴史的に低い評価をされていたとのことでした。


「上ノ国町木ノ子沖に沈んだ昇平丸」勝海舟も乗船






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Posted by おだっちのなたね油 at 21:31│Comments(0)
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