「彼らの犠牲があって今がある」元特攻隊員、千玄室さん

おだっちの菜の花油

2021年08月14日 19:42

「彼らの犠牲があって今がある」元特攻隊員、千玄室さん
2021/08/14 16:07産経新聞




特攻隊員だった茶道裏千家前家元の千玄室さん。戦場に散った仲間に思いを馳せながら体験を語った=京都市上京区(渡辺恭晃撮影)© 産経新聞 特攻隊員だった茶道裏千家前家元の千玄室さん。戦場に散った仲間に思いを馳せながら体験を語った=京都市上京区(渡辺恭晃撮影)

15日で終戦から76年。茶道裏千家前家元の千玄室さん(98)は学徒出陣し、特攻隊員だった過去を持つ。今も亡き戦友の存在を胸に刻み、「彼らの犠牲を忘れないでほしい」と願う。過去を正しく知り、未来に継承することが、今を生きる人の責務だと考えるからだ。

同志社大2年だった昭和18年、海軍に入隊。戦況が不利になった20年3月、配属されていた徳島航空隊でも特別攻撃隊が編成されることになった。

ある日、上官から1枚の紙を渡された。そこにあったのは「否・希望・熱望」の3つの選択肢。千さんはその日のうちに、「熱望」に二重丸を書いて提出した。「死にたくねえなあ」とこぼす同期もいた。

「死ぬ覚悟はできていました。でも当時は20、21歳の青二才。『死』の本質は分からなかった」。トルストイの「戦争と平和」を読んだり同期と語り合ったりしたが、死の意味について誰もが納得する答えを導き出せた仲間はいなかった。

同期約3300人のうち、400人超が特攻などで散った。出撃を前に涙ながらに「お母さん」と叫んだ声、敵艦に体当たりするときの「ツー」という最期の電信。強烈な体験は今も脳裏を離れることはない。

沖縄への出撃命令を待ちながら終戦を迎えた千さん。「生き残ったことはじくじたる思いだった」と話す。

戦後、当時の上官に会う機会があった。「私になぜ待機命令が出たのですか」。そう尋ねた千さんに上官は「天命だと思いなさい」と答えた。以来、自分に課せられた意義を問うようになったという。

平和は、願ったり叫んだりしてもやってはこない。どうすれば次の世代につなぐことができるのか。重みを痛感する毎日だ。「彼らの犠牲があって、今があることを忘れてはいけない」。涙を浮かべて訴えた。(石橋明日佳)

せん・げんしつ 大正12年生まれ。昭和18年、学徒出陣。復員後の21年、同志社大卒。39年、第15代裏千家家元となり千宗室を襲名。平成14年に家元を退き、千玄室(大宗匠)に改名。茶道文化の発展と世界平和の実現に向けた活動を展開している。
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