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2010年04月21日

選挙民の水準と意識


     問題なのは選挙民の水準と意識 

 沖縄の普天間基地問題は、なぜこうも歪められてしまったのか。米軍基地縮小の問題が、いつの間にか「鳩山首相退陣」という政局問題にスリ替えられてしまった。地元民の意をくんで、果敢に移転をぶち上げた鳩山首相が完全に悪者扱いで、「5月末までに解決しろよ」「できなかったら責任取れよ」となっている。

 いいことをやろうとした人が評価されず、「失敗したら腹を切れ」と責められる。奇怪で嘆かわしい現象だ。これでは誰だって、損な役回りは引き受けなくなる。進んで改革をやる政治家などいなくなってしまう。

 原因はどこにあるのか。「鳩山首相が5月末と期限を切ったことがいけない」という批判は違う。それなら期限を切らなければいいのか。最低でも5月末までは鳩山首相に好きにやらせてみて、結果が出なかったところで責任を問えばいいだけの話だ。結果も出ないうちから、「絶望的」「責任論浮上」と足を引っ張るからおかしいし、問題を歪めてしまったのだ。

 それじゃあ、何が原因かといえば、米国だ。米国の“知日派”が移転を渋ったので、日本の外務省、防衛省が最初から無理と決めつけ、大マスコミをたきつけ、鳩山総攻撃をやっている。そういう構図なのだ。

●日米従属関係に波風立てるのは悪いのか

「日本の米軍基地をめぐっては、日米間で官僚、軍需産業、学者、軍人と、それぞれのレベルでがっちりタッグが組まれています。当然そこには、前例踏襲で変化を望まない構造ができ、それぞれ族議員も巻き込んで一種の利権ができている。

 そうやって戦後50年以上築いてきた日米の安保政策構造に、あえて波風を立たせたのが鳩山首相。それで、激しい抵抗が起きているわけです。でも、問題提起したのはいいことです。政権交代したのだから、当然のことなのです。

 日本のメディアは報じませんが、世界を見れば、第2次大戦後、政権交代で49の外国の基地のうち40が撤退に追い込まれている。これが常識なのです。こういうことは報じず、日本のメディアは、日米安保構造の中にいる国防省OBや知日派学者、軍人の意見だけ紹介するから、基地移転困難論が主流になる。

 しかし、それは決して、米国の世論ではないし、米国内には沖縄の海兵隊不要論まであります。日本の報道はあまりに偏りすぎですよ」(軍事問題評論家・前田哲男氏)

 そもそも冷戦が終わって20年も経つのに、なぜ大々的な米軍基地が沖縄に必要なのか。なぜ日本人の税金で米兵を養わなければいけないのか。「在日米軍の抑止力が大事」という人がいるが、何を抑止するのか。

 すでに中国や台湾の脅威はないし、北朝鮮は戦闘機を飛ばす余力もない。本来、大マスコミが読者、視聴者に提起すべきことは、そういうことなのに、ハナから無視だ。問題を鳩山潰しにスリ替え、「公約を守れなかったら退陣しかない」と連日やっているのだから本当に悪質だ。売国奴的な確信犯と言うしかない。

●自民党時代の歪んだ教育政策の著しい効果で国民の大多数が愚民化した

 だが、戦後50年、アメリカ支配の自民党政権の中で繁栄してきた日本の大マスコミに「目を覚ませ」と言ったところで、連中はグルなんだから、ナンセンスである。大事なのは、読者、視聴者が賢くなることしかない。自分の頭でモノを考えて自立する。押し付けられる情報を取捨選択する能力が必要なのだ。

 たとえば、米紙ワシントン・ポストが報じたからと、日本のメディアも大きく扱った鳩山首相をからかったコラムの一件。

 ジャーナリストの大谷昭宏氏が「深刻な米軍基地の問題を日本に押し付け、それで騒ぎを引き起こしている米国の新聞が日本の首相をバカにする。おかしいですよ。日本の国民がバカにされたのと同じことなのだから、怒らないと」と言っていたが、その通りだ。

 「お前らに、とやかく言われたくないよ」と米国に抗議しなければいけない問題なのだ。それなのに、「鳩山首相は最大の敗者」なんて屈辱的記事やテレビ報道を見て、ヘラヘラ受け入れている。まったく情けない民度だ。

 自分でモノを考える能力がない。ないからテレビのみのもんた程度の発言に左右される。全部、他人やお上にお任せで、気分やムードだけで動く。

 「政権交代が起きそうだ」というムードになると、それに乗り、鳩山政権がモタモタすると、「やっぱりダメか」のムードに乗って、アッサリ支持をやめる。戦後初めてである政権交代の意義を考え、自分たちで新しい政治、社会づくりをバックアップしていこうという意識なんて皆無。驚くべき無責任、無気力というしかない。

●自分たちで民主政治を放棄する愚かさ

 評論家の塩田潮氏がこう言った。
 「政権交代というのは、それまでの50年のシステムを変えることだから、時間がかかる。与党の経験がない民主党議員が右往左往するのは仕方ないことなのです。しかし、すぐに結果が出ないと、自分たちで選んだ政権を見限る。それでは何も始まりませんよ」

 政治や行政は上にやってもらうこと。そういう認識だから、自分たちで選んだ新政権を半年で捨てる無責任さも感じないわけである。

 これじゃあ、デタラメのやりたい放題だった自民党政権が50年も続いてしまったのも仕方ない。もともと封建時代から羊のようにおとなしい日本人は天皇制の下で「民主主義」を学べず、さらに自民党時代の学校教育で教えられたことは、権力を疑ったり批判したり、個性を出すことはよくないという従順さ。

 支配階級の計算通りに、ヨコ並びで、画一的な愚民に飼いならされてきた。それで、搾取されようが貧乏に突き落とされようが、自民党デタラメ政治を半世紀も許してきたのだ。

 それがやっと、小沢一郎という傑出政治家による政権交代で、呪縛のない民主的政治が目の前に出現した。自分たちが主役になれる政権が誕生したのである。にもかかわらず、旧勢力の悪質な情報操作にまたも乗せられ、フラフラ無責任に漂っている。どうしようもない主体性のなさだ。

 せっかく自由でオープンな政治状況になったのに、自分たちから格差や階級をなくそうとしない大多数の選挙民。それならそれで自業自得。大マスコミや官僚組織、大企業の特権階級にとことん搾取され続けるしかないだろう。民主党政権ができた意味はなかったということだ。

(2010年04月20日 / 提供:ゲンダイネット)



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Posted by おだっちの菜の花油 at 09:18│Comments(0)
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