2024年04月06日
2023年12月21日
2022年06月07日
庭に「しおで」(こちらでは「そでこ」と呼んでいます)が生えてきました。
我が家の庭に「しおで」
(こちらでは「そでこ」と呼んでいます)が生えてきました。

自然のアスパラです。
96歳で亡くなった母親がよく摘んできて食べさしてくれましたので
母親を思い出す山菜です。

アスパラガスに非常に似ている味なんですが、
アスパラガスよりも繊細で風味があるように思います。
マヨネーズ和えが美味しいと想いますが、
天ぷらもその風味が豊なためにかなり美味しいです。
(こちらでは「そでこ」と呼んでいます)が生えてきました。
自然のアスパラです。
96歳で亡くなった母親がよく摘んできて食べさしてくれましたので
母親を思い出す山菜です。
アスパラガスに非常に似ている味なんですが、
アスパラガスよりも繊細で風味があるように思います。
マヨネーズ和えが美味しいと想いますが、
天ぷらもその風味が豊なためにかなり美味しいです。
2022年02月25日
2022年02月21日
一発勝負 満点出せたら100万円
一発勝負 満点出せたら100万円
双子のおばぁちゃんに恩返し尾田夏音・このみ
双子のおばぁちゃんに恩返し尾田夏音・このみ
https://www.facebook.com/100003929809400/videos/pcb.2139208736220099/585012619218397?__cft__[0]=AZUvvjdepFDlRyYMCC6HP5MtvkbpQpkrDrVt84Aj4PeWvn0Mkyn-PIveq4QF7wXRh_ncm76HHVM-RwLUeKkSQAbKKa0-DBFuGLw2lCVKmjn2HM5uDqaVw_eF9ea0TtXMxsE&__tn__=-UK-R
https://www.facebook.com/100003929809400/videos/pcb.2139208736220099/2938092366445682
2022年02月09日
タタミ蔵
江戸時代からヒノキの主産地であった北海道上ノ国町。
幅八寸から一尺厚さ三寸五部分の
ヒノキ梁を溝を掘ってはめ込んで組立ているタタミ蔵は
上ノ国だけにある建造物です。築140年の蔵を移設。
1m近く屋根に雪が積もっていますが、
太い棟木とタルキの柱で2m以上積もっても大丈夫です。
幅八寸から一尺厚さ三寸五部分の
ヒノキ梁を溝を掘ってはめ込んで組立ているタタミ蔵は
上ノ国だけにある建造物です。築140年の蔵を移設。
1m近く屋根に雪が積もっていますが、
太い棟木とタルキの柱で2m以上積もっても大丈夫です。
2022年02月04日
2022年02月03日
『がんばれ歌うまキッズ!全力COVERS』
孫の尾田このみも出演します。
2/27(日)15:40〜17:10
CSチャンネル
映画・チャンネルNECO
2/27(日)15:40〜17:10

CSチャンネル
映画・チャンネルNECO
『がんばれ歌うまキッズ!全力COVERS』 https://necoweb.com/neco/program/detail.php?id=5836...

#加藤礼愛 #熊本エミ #宇都宮聖
#島津心美 #尾田このみ

#加藤礼愛 #熊本エミ #宇都宮聖
#島津心美 #尾田このみ
2022年02月02日
2022年01月27日
2022年01月27日
2022年01月26日
2022年01月26日
2022年01月26日
2022年01月19日
時代の遍歴(2009.01さぶろぐより再掲載)
昨年10月亡き父(97歳の日記や書類を整理している。
明治、大正、昭和、平成の時代を生きた父である。
半農半漁で生計を立てていた時代が長かったが、
昭和10年代の青年時代から米作りの研究に没頭し、
地域内では変人扱いもされていたとのこと。
上ノ国町は江戸時代から米作りがなされ、
松前の殿様に木ノ子地区から米が献上されている。
北海道の米作は北斗市大野文月となっていますが、
上ノ国町が先に米を作っていたと言われていますが、
裏付ける資料が発見されなかったため、
米作発祥の地にはならなかったと聞いている。
江戸時代から昭和20年代の始め頃まで
米の苗作りは「水苗代」(田圃の中に畝を作り水を張る)で苗作りをしていたので、
苗が弱く育ち一株に6~10本も植え、
反収も2~3俵の収量よりなかったのである。

父は昭和11年に道立琴似農業試験場の技師と一緒になって
水苗代から初めて陸で米の苗作りをする「温床苗代」こ取り組んだ。
昭和16年は冷害で米がとれなかった年であったが、
父の日記帳には我が家では平均反収3俵半と書かれており、
また、各品種ごとの収穫量も記載されていた。
また戦時中は化学肥料など購入することが出来なくなったため、
地域のそれぞれの区ごとに農家が出人区をして
雑草を刈り取り馬糞などと混ぜて堆肥作りをし
魚粕と一緒に田畑の肥料として使ったのである。
当時は田圃の周りや畑の周りなどには
雑草などのばしておくことなく、
すべて堆肥づくりに刈り取っていたと父から聞いたものである。

時代の遍歴を経てきた現代農業の姿は
改めて見直して行くことが求められているのではないか。
日本の食料の自給率を引き上げなければならないことは
農業者任せの問題でない。
国民も自らの問題として真剣に考えなければ、
何時でも腹が減ったときには食い物があると思っていては
安心して喰うものが喰えない時代がくることを考えることである。
明治、大正、昭和、平成の時代を生きた父である。
半農半漁で生計を立てていた時代が長かったが、
昭和10年代の青年時代から米作りの研究に没頭し、
地域内では変人扱いもされていたとのこと。
上ノ国町は江戸時代から米作りがなされ、
松前の殿様に木ノ子地区から米が献上されている。
北海道の米作は北斗市大野文月となっていますが、
上ノ国町が先に米を作っていたと言われていますが、
裏付ける資料が発見されなかったため、
米作発祥の地にはならなかったと聞いている。
江戸時代から昭和20年代の始め頃まで
米の苗作りは「水苗代」(田圃の中に畝を作り水を張る)で苗作りをしていたので、
苗が弱く育ち一株に6~10本も植え、
反収も2~3俵の収量よりなかったのである。

父は昭和11年に道立琴似農業試験場の技師と一緒になって
水苗代から初めて陸で米の苗作りをする「温床苗代」こ取り組んだ。
昭和16年は冷害で米がとれなかった年であったが、
父の日記帳には我が家では平均反収3俵半と書かれており、
また、各品種ごとの収穫量も記載されていた。
また戦時中は化学肥料など購入することが出来なくなったため、
地域のそれぞれの区ごとに農家が出人区をして
雑草を刈り取り馬糞などと混ぜて堆肥作りをし
魚粕と一緒に田畑の肥料として使ったのである。
当時は田圃の周りや畑の周りなどには
雑草などのばしておくことなく、
すべて堆肥づくりに刈り取っていたと父から聞いたものである。

時代の遍歴を経てきた現代農業の姿は
改めて見直して行くことが求められているのではないか。
日本の食料の自給率を引き上げなければならないことは
農業者任せの問題でない。
国民も自らの問題として真剣に考えなければ、
何時でも腹が減ったときには食い物があると思っていては
安心して喰うものが喰えない時代がくることを考えることである。
2022年01月01日
新年あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとうございます☺
今年もどうぞよろしくお願い致します♂️
今年もどうぞよろしくお願い致します♂️
いつも炊飯器で保温して置いて食べていましたが、
元旦にヒノキのおしつにご飯を入れて美味しく食べようと購入しました。
元旦にヒノキのおしつにご飯を入れて美味しく食べようと購入しました。
2021年12月27日
2021年12月20日
アップル風呂とシャレました。
今晩は規格外や落ちて傷物の王林をたくさん頂いたので、
贅沢にアップル風呂とシャレました。
王林の香りがお風呂場いっぱいに広がっています。
贅沢にアップル風呂とシャレました。
王林の香りがお風呂場いっぱいに広がっています。
円空さまもビックリですね(2021,12,20)
