2011年01月31日
政治の師・角栄氏に似た活動の軌跡
<小沢元代表強制起訴>
政治の師・角栄氏に似た活動の軌跡
31日強制起訴された民主党の小沢一郎元代表の40年を超える政治活動の軌跡は、政治の師と仰ぎ、ロッキード事件で逮捕、起訴された田中角栄元首相をほうふつさせる。
1989年8月に47歳の若さで自民党幹事長に就任したのが最初のピークだった。90年の湾岸危機時に自衛隊派遣を模索し国際貢献をけん引しようとして存在感を発揮。しかし、東京都知事選敗北による幹事長辞任後は心臓病で入院し苦難の時期を過ごした。
92年、東京佐川急便事件を巡り竹下派会長を辞任した金丸信氏の後継争いに敗れ、羽田グループを結成。政治改革を旗印に掲げ再び政界の中心に復帰。93年6月には宮沢内閣不信任決議案に賛成。離党して新生党を結党し、非自民の細川連立内閣誕生を主導した。
だが、連立政権は細川護熙元首相の「政治とカネ」問題で短命に終わり、自身も新生党、新進党、自由党と相次いで結党するものの、解党を繰り返す。「壊し屋」の異名が定着したが、「純化路線」に走って自ら率いる政党の規模は縮小し、存在感も薄れた。
3度、政治の表舞台に出るきっかけが、2003年9月の小沢・自由党と民主党との合併。新保守的な小沢元代表とは遠い存在とされた旧社会党グループに接近し、支持拡大につなげる一方、鳩山由紀夫、菅直人両氏とともに「トロイカ体制」で党をけん引した。
06年4月に民主党代表に就任。07年7月の参院選で民主党を勝利に導くが、09年、政治資金規正法違反で公設第1秘書が逮捕・起訴され代表を辞任。10年9月の代表選に政治生命をかけて出馬するが、「政治とカネ」への厳しい世論を背景に菅首相に敗北し「一兵卒」に。しかし、国会議員票では所属議員のほぼ半数を獲得し、強い影響力を残している。
小沢元代表の元秘書として逮捕・起訴された石川知裕衆院議員は、自身が衆院選に出馬した際に小沢元代表から「田中のオヤジは秘書からケチだケチだと言われていた。でも選挙のときには惜しまず使う、それが本当に生きた金の使い方だ」と言われた。
小沢元代表も、一昨年7月に衆院が解散された時には、自身に近い党の候補者89人に計4億4200万円を配っている。田中元首相から受け継いだ「政治にカネは不可欠」という信念が基本にある。
小沢元代表は昨年12月のインターネット番組で、ロッキード事件について「お金の問題だけに矮小(わいしょう)化して、スケープゴートに誰かを立てて通りすぎようというのがいけない」と語り、自らと田中元首相を重ね合わせて犠牲者になぞらえた。【葛西大博】
(毎日新聞 1月31日(月)19時38分配信)
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Posted by おだっちの菜の花油 at 20:05│Comments(0)
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