2011年08月21日
<シベリア抑留>貴重な記録「死蔵化」 厚労省に眠ったまま
<シベリア抑留>
貴重な記録「死蔵化」 厚労省に眠ったまま
第二次世界大戦終結後、シベリアに抑留された日本人の居留地、投薬経過などを記した膨大な記録が厚生労働省に眠っている。抑留の実態解明につながる貴重な資料だが、ほとんど活用されず、当事者と遺族の高齢化で「死蔵化」の危機に直面している。【栗原俊雄】
記録は00年から05年にかけ、ロシア政府から厚労省にマイクロフィルム化されて提供されたもの。日本人抑留者約51万人分に及ぶ。厚労省は当事者らの要望があれば記録を開示しているが、その存在自体が十分に周知されておらず、これまでに開示されたのは約6000件と、全体の1.2%に過ぎない。歴史資料としての研究も進んでいない。
記録の存在を知った旧日本陸軍、井上忠也中将の次女、岡田よし子さん(91)と孫の上田禮子さん(64)=いずれも東京都=は昨秋、厚労省に請求しA4判約160枚に及ぶコピーを入手した。大半が手書きのロシア語のため、専門家に和訳を依頼したところ、さまざまな事実が浮かび上がった。
井上中将は1945年11月、満州(現・中国東北部)吉林省でソ連側に拘束された。尋問調書には「極秘 将官級の捕虜のみ記入する」とあり、第一次世界大戦に従軍したか、ソ連に知人がいるかどうかなどを聴取されていた。
50年3月25日の記録によると、中将は「動脈硬化、高血圧症、腸間膜結核、肛門部湿疹」を患い、ビタミン剤などが投与された。同年4月、ナホトカに移動したが、日本への引き揚げ船に乗る直前、「腹部動脈瘤(りゅう)破裂」のため亡くなった。
岡田さんは「父が何度も治療を受けたことが分かり、ほっとしました」と話す。死去の知らせは受けたが、病状など詳しい内容は伝えられていないという。ソ連が抑留の実態を隠蔽(いんぺい)したため、現地での生活ぶりなどは今も不明だ。手当ても受けられずに亡くなったのでは、と気をもみ続ける遺族も少なくない。
抑留経験者で、抑留史研究者の村山常雄さん(85)は井上中将の記録について、「これほど多くの個人データはみたことがない。個人記録を詳細につき合わせれば、抑留の実態がみえてくるのでは」と期待する。昨年6月に成立したシベリア特措法は、実態解明を国に課している。
(毎日新聞 8月21日(日)10時7分配信)
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Posted by おだっちの菜の花油 at 12:51│Comments(0)
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