2014年03月03日
<3・11から3年> 村上元東海村長に聞く 「命守る「脱原発」 今こそ!
<3・11から3年> 村上元東海村長に聞く 「命守る「脱原発」 今こそ!
【 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からまもなく三年。
日本原子力発電(原電)は東海村にある
東海第二原発の再稼働申請の準備を進めている。
原発は事故の教訓を生かし、
十分な安全性を確保できたのか。
エネルギー問題をどう考えるべきか。
日本の商業用原子炉発祥の地である東海村。
昨年九月まで村長を務めた村上達也さん(71)、
現職の山田修村長(52)と、
新旧トップのインタビューを二回に分けて紹介する。】 (林容史)
村長在任中から、原発が立地する自治体では
異例の「脱原発」を訴えてきた村上さん。
昨年末、現職のころから「見てみたい」と思っていた
福島県南相馬市の約二千世帯が入る仮設住宅を訪れた。
長方形の住宅が並ぶ区画は、まるで強制収容所に見えた。
「津波や原発事故で人がいない光景も悲惨だが、
これだけ人がいるのに一番、無残だ」と思った。
■非人間的
「若者は出て行き、お年寄りしか残っていない。住民と話をすると、だれも精神安定剤と睡眠薬が手放せないという。こうして(住民は)消耗していってしまうのだろう。日本の中で、極めて非人間的なことがなされている」と憤る。
村長を退任後、自然を守り、有機農業に力を入れている地域などから呼ばれて講演に出向いている。そこで訴えるのは脱原発と地方の復権。「成長、発展のみを望んでいる限り、地方は生きていけない。これまで中央に依存してきて地方は貧しくなった。原発に依存した地域づくりから脱却し、カネで換算できない価値を見いだしていかなければいけない」と主張する。
二月の都知事選では候補者の応援演説で脱原発を訴えた。多くの有権者が集まり、演説に耳を傾けたのに結果は敗北だった。「生活にきゅうきゅうとして目先の利益しか考えられない」と人々の意識に危機感を覚える。
政府は「エネルギー基本計画」で原発を「重要なベースロード電源」と位置付けようとしている。さらに規制を厳しくした新基準で「安全神話」を復活させ、なし崩し的に原発を再稼働させようとしているように映る。「まさに原発事故前の状況。原発に群がる勢力の利権を維持しようとしている。規制委が再稼働の道具にされている」と懸念する。
福島第一原発事故後、国民の間に脱原発の機運が広がったが、事故から三年、各地で抗議行動は縮小しているように感じる。
■危うい風潮
「原発は、もうやめよう、減らしていこうと思っていても、経済のことを言われると、仕方ないかとなってしまう」との風潮を恐れる。
「経済成長で本当に生活は豊かになるのか。脱原発は命を守り、環境を守るということ。地方から発言していい。国の専管事項だなんて言っていたら、日本中どこにでも原発ができてしまう」
<むらかみ・たつや> 1943年、東海村生まれ。一橋大社会学部を卒業後、常陽銀行に入行。97年、東海村長選に初当選。99年、核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で、被ばくした作業員が死亡する国内初の臨界事故が発生。自身の判断で住民の避難を実行した。これを契機に、原子力政策に疑問を抱き、東京電力福島第一原発事故に直面し脱原発を主張した。2012年4月には、全国の現職や元職の首長らに呼び掛け「脱原発をめざす首長会議」を設立、世話人になった。30キロ圏に98万人が居住する日本原子力発電東海第二原発を「異常な立地の原発」と断言し、地元首長の立場で廃炉を訴え続けた。昨年9月、4期の任期を終え、村長を退任した。
3月3日 東京新聞
Posted by おだっちの菜の花油 at 20:22│Comments(0)
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