2008年03月31日
921点国の重要文化財に
写真提供・上ノ国町教育委員会



国の重要文化財(考古資料の部)に指定された出土品の一部













上之国勝山館(1470~1600年ごろ)跡は、
松前氏の始祖、武田信広が1470年頃に築いた山城です。
勝山館に居を構えた蠣崎氏一族は、
1600年頃まで上ノ国の湊を根拠に
日本海交易を活発に行い、勢力を拡大しました。
上ノ国は、
1678年に檜山奉行所が江差に移るまで、
北海道の日本海側で一番大きな町として繁栄しました。
勝山館跡の発掘調査は、昭和54年から始まり、
多数の遺構と約10万点にもおよぶ遺物が出土しています。
3月21日
国の重要文化財=重文=(考古資料の部)に
指定されることになったのは、
室町時代から安土桃山時代にかけての
北海道南西部と日本海沿岸各地との交易活動や、
この地に居住した人々の生活・文化を復元する上で
とても重要なものであり、
アイヌの人々との関係を考えるためにも貴重であるとし、
約10万点の出土品のうち921点が指定されました。
今後は、当時の人々の生活、文化全体そのものが
国の重要文化財として永久に保存されることになり、
上ノ国の歴史や文化そのものが
重要なものと位置付けられたことなります。
(かみのくに広報4月号より抜粋)
お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。




国の重要文化財(考古資料の部)に指定された出土品の一部













上之国勝山館(1470~1600年ごろ)跡は、
松前氏の始祖、武田信広が1470年頃に築いた山城です。
勝山館に居を構えた蠣崎氏一族は、
1600年頃まで上ノ国の湊を根拠に
日本海交易を活発に行い、勢力を拡大しました。
上ノ国は、
1678年に檜山奉行所が江差に移るまで、
北海道の日本海側で一番大きな町として繁栄しました。
勝山館跡の発掘調査は、昭和54年から始まり、
多数の遺構と約10万点にもおよぶ遺物が出土しています。
3月21日
国の重要文化財=重文=(考古資料の部)に
指定されることになったのは、
室町時代から安土桃山時代にかけての
北海道南西部と日本海沿岸各地との交易活動や、
この地に居住した人々の生活・文化を復元する上で
とても重要なものであり、
アイヌの人々との関係を考えるためにも貴重であるとし、
約10万点の出土品のうち921点が指定されました。
今後は、当時の人々の生活、文化全体そのものが
国の重要文化財として永久に保存されることになり、
上ノ国の歴史や文化そのものが
重要なものと位置付けられたことなります。
(かみのくに広報4月号より抜粋)
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Posted by おだっちの菜の花油 at
23:17
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