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2022年04月25日

プーチン大統領は大誤算…侵攻2カ月でロシア軍戦力25%減、

プーチン大統領は大誤算…侵攻2カ月でロシア軍戦力25%減、
同盟国も軍事支援拒否でジリ貧
日刊ゲンダイDIGITAL


ロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を開始してから24日で2カ月。ウクライナ側の強い抵抗が続き、長期戦は避けられないとの見方が強まっている。ロシア軍は5月9日の対独戦勝記念日に向け、攻勢を強める姿勢を見せているが、ほとんど前進できていない状況だ。とうとう、保有する戦力そのものでも劣勢に立たされつつある。

心中穏やかではない?(ロシアのプーチン大統領) (C)ロイター/Sputnik/Kremlin
© 日刊ゲンダイDIGITAL

米国防総省高官は、ロシア軍の戦力が侵攻当初から25%減少したと推計している。米欧がウクライナ軍に供与した対戦車ミサイル「ジャベリン」が威力を発揮。軍事情報サイト「Oryx」によると、これまでにロシア軍が失った戦車、装甲車、火砲、対空ミサイルは約3000に上るという。

■戦車保有台数ウクライナ軍下回る

現在、ロシア軍がウクライナに持ち込んでいる戦車保有数は、ウクライナ軍を下回っているという。ロシア軍の戦車をウクライナ側が奪取するというケースも起きている。

ウクライナ政府の「国家汚職防止局」は〈ロシア軍の戦車やその他装備品を奪取しても所得申告不要です〉〈安心して祖国防衛を続けてください〉と発表。戦車奪取を後押ししている。

軍事ジャーナリストの世良光弘氏はこう言う。

「お金と引き換えに戦車をウクライナ側に引き渡すロシア兵も少なくありません。ウクライナ当局はロシア軍から243台の戦車を奪ったと発表しています。もちろん、損傷が激しくて使えないものも含まれているでしょうが、ロシア軍の戦車ならウクライナ兵も操縦できる。相手の戦力をそぎ、自軍の兵器を充実させる戦車の奪取は有効です」

CSTO5カ国が軍事支援を拒絶した背景
米欧はウクライナへの軍事支援を充実させている。一方、ロシアは、旧ソ連6カ国で構成する軍事同盟「集団安全保障条約機構(CSTO)」に加盟するアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタンに兵器や兵士の支援を求めたが、断られたという。同盟国に支援を求めたということは、兵器不足や兵士不足に陥っている可能性がある。

「CSTO5カ国が軍事支援を拒絶したのは、いま露骨にロシアを支援すると、西側から経済制裁などを科せられる可能性があり、様子を見ようという判断なのでしょう。ウクライナには西側からの兵器供与が強化されますが、ロシアは自力で用意しなければならない。ロシアにとって兵器・兵士不足が戦争継続のネックになる可能性があります」(世良光弘氏)

ロシア兵も当初の19万人から2万人程度減ったとの見方がある。

英国防省は24日、ロシアが大規模攻撃をしているウクライナ東部ドンバス地域の前線で、ウクライナ軍が多くの攻撃を退けているとの分析を発表。ロシア兵の士気の低下や、再編の時間が限られ、ロシア軍の戦力が弱体化した可能性を指摘している。

これまで7人の将官が戦死したり、旗艦「モスクワ」が撃沈させられるなど、誤算つづきのロシア軍。ウクライナの予想外の強い反撃に遭っている。怒り狂ったプーチン大統領は禁断兵器に手を付けるのか。


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Posted by おだっちの菜の花油 at 17:01Comments(0)ウクライナ戦争

2022年04月25日

悪天候で別の観光船船長は制止「出航は異常」

事故の船 船首に亀裂の目撃証言 悪天候で別の観光船船長は制止「出航は異常」
スポーツニッポン新聞社 - 2 時間前


 

◇知床沖観光船事故今年2月に陸揚げされた「KAZU I」
© (C) スポーツニッポン新聞社

 今回の事故で焦点になっているのは主に2つ。1つは事故を起こしたカズワンの船首に亀裂が入っていたという目撃証言だ。

 運航会社「知床遊覧船」とは別の観光船乗組員は「自分が見た限り、船の右前部分に亀裂が入っていた。そこから水が入った可能性がある」と指摘。別の観光船でかつてアルバイトしていた女性は24日、2月にウトロ港に陸揚げされたカズワンの写真をツイッターに投稿。船首に近い部分に亀裂が確認できた。地元の漁師は「亀裂が入ったままの観光船に人を乗せていたなら、あり得ない」と指摘した。

 出港3日前の20日には船舶検査を受け、異常がないことが確認されている。小型船舶を所有する札幌市在住の60代男性は「救命胴衣、浮輪といった法定備品のチェックに重点が置かれることが多い。検査によっては強度や構造的な部分が見落とされる可能性はある」とした。

 そして最大の疑問は「なぜ荒天で出港したのか」。斜里町では23日未明に強風注意報が、朝からは波浪注意報も出されていた。午後から海が荒れることが予想され、地元漁師も午前中で引き揚げた。

 その中、カズワンは午前10時に出港。同業者らは豊田徳幸船長(54)に「行くな」と止めたが、甲板員の曽山聖さん(27)とともに船を出した。「23日の気象条件で出港することは異常」(観光業界関係者)との声がある一方、当時のウトロ港に吹いていた風が比較的弱かったとされることが誤った判断につながった可能性も指摘されている。

 国土交通省によると、カズワンは昨年、事故を2回起こしていた。5月、浮遊物と衝突して乗客3人が軽傷を負い、翌6月には出港後まもなく浅瀬で座礁する事故を起こした。いずれも同省の監査と指導を受けた。豊田船長は6月の座礁事故について、今年1月に業務上過失往来危険容疑で書類送検されていた。1管は今回の事故も業務上過失致死容疑などでの捜査を検討している。

 関係者によると、現地ではカズワンの運航会社など4社で「知床小型観光船協議会」を組織し、気象や海の情報を共有。複数の船が海に出ることで、もしもの際に助け合えるなど、会社の枠を超えて安全対策を講じていた。大型連休に合わせてシーズン入りする同業他社に先駆けて、知床遊覧船だけが船を出したことに、関係者は「集客が見込めるからではないか」と話す。一刻も早い知床遊覧船側の説明が求められる。



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Posted by おだっちの菜の花油 at 07:11Comments(0)出来事

2022年04月25日

斎藤智子氏による「愛子さま20歳のお覚悟」を一部転載




文春オンライン
「失礼ながらマイペースでいささか無愛想」な愛子さまが外交官時代の雅子さまに似た優しい雰囲気を醸し出されるまで
斎藤 智子 - 昨日 6:10
「文藝春秋」2022年5月号より、元朝日新聞記者・皇室担当の斎藤智子氏による「愛子さま20歳のお覚悟」を一部転載します。

◆ ◆ ◆
新しい風を吹き込む成年皇族
「『生んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」

 天皇皇后両陛下の一人娘、愛子さまが3月、初めておひとりで、記者会見に臨んだ。「男の子を産まなくてはならない」というプレッシャーと流産の悲しみを経て、雅子さまが産んだ「女の子」は、いま、輝くばかりの成年皇族となり、皇室に、そして日本に、新しい風を吹き込んでいる。


ローブデコルテとティアラで成年行事に臨まれた愛子さま ©getty

© 文春オンライン

 昨年12月1日に20歳の誕生日を迎えた愛子さまの会見は、学業などの関係から3月17日、御所の大広間で開かれた。父と同じ学習院大学文学部に進学し、現在は2年生。古典文学に長じ、日本語日本文学科で学んでいる。

 ちなみに在籍していた学習院女子高等科では、卒業に際し、平安時代の猫や犬について、文学作品を通じて考察したレポートを400字詰め原稿用紙60枚近くにまとめて提出したと言うから、この先も独自性のある研究が期待される。

 春らしいライムイエローのスーツに身を包んだ愛子さまは、天皇陛下の言葉を引用する時以外はメモを一切見ることなく、約30分にわたる会見をこなした。記者たちの追加質問にも臆さずに答えた。

 20歳になった喜び、勲章の重みで感じた身の引き締まる思い、成年皇族の儀式や宮中祭祀に参列した緊張感……。

 皇室にあって最も大切にすべき精神は「国民の幸福を常に願い、国民と苦楽をともにしながら、つとめを果たす」ことだと思っている。それが、上皇陛下から天皇陛下へと受け継がれてきたように感じており、国民と苦楽をともにする一つのあらわれが「被災地に心を寄せ続ける」ことではないかと思っている、などと話してくれた。

 醸し出す柔らかで優しい雰囲気は、かつてインタビューした外交官時代の雅子さまにとてもよく似ていた。雅子さまも、輝かしいキャリアの持ち主であることを意識させない柔らかさや素直さがあり、ずっと話していたい気持ちになったものだ。

 愛子さまは会見で、自身の長所について「どこでも寝られる」点をあげ、エピソードと共に明かした。また、御用邸のある下田市須崎の海で、親子3人でサーフボードに座る挑戦をし、全員そろって海に落ちたというエピソードも披露した。親子3人、といっても、その顔ぶれが、天皇陛下、皇后陛下、愛子さまなのだから、なんとも言えない驚きとおかしみがある。

 そんなユーモアをまぶしながら、会場全体に視線を投げかけ、質問する記者の目をまっすぐに見つめて答える会見はどこかで見たと思ったが、そういえば、天皇陛下の誕生日会見にそっくりなのだ。それもそのはず、事前に「父」から、「コツ」を聞いたのだという。

 会見に同席した宮内庁幹部は、おそらく愛子さまは、質問を事前にもらってから何度も自分の言葉で返答を推敲したのだろう、という。だからこそ、自ずと覚えてしまい、メモなしでこんなに自然体で話せたのだ、とも。ご両親が「聞き役」となって、愛子さまに助言する楽しいひとときもあったようだ。

「一皮むけちゃったんです」
 私の抱いていた子ども時代の愛子さまの印象は、失礼ながらマイペースで、いささか無愛想であった。

 夏の静養などで、ご一家が那須や須崎の御用邸に行く時は、家族のご様子をみる絶好の機会である。駅頭で、いわゆる「撮影タイム」が設定されている。

 小学生時代の愛子さまは、そんな時、笑顔で手を振るご両親のそばで、すねたような表情を見せた。雅子さまの陰に隠れたり、ぷいっと後ろを向いてしまったり、先に車に乗ってしまおうとしたり。「なぜ、みんな、私の名前を知っているの」と不思議がっている、と聞いたこともある。

 記者会見で愛子さまは、自分が「小さい頃から人見知り」であったこと、それは今も克服の対象だと明かしている。そうか、あれは「人見知り」の現れであったのか。

 ご両親は当時、そんな愛子さまのふるまいにも、ただにこにこ見守っているだけで、その場ではほとんど、注意をしていなかったように思う。皇族の中には、我が子が幼いころから、居合わせたカメラマンにまで礼儀正しく挨拶するようその場で指導する方もおられたから、皇太子時代の天皇ご一家は、自由放任主義に見えた。「親のしつけがなっていない」「愛子さまにも何かご病気があるのでは」など、意地悪く受け止める報道もあった。

 だが、子どもに自覚が芽生えるまで、辛抱強く待つ。それが、雅子さまと天皇陛下の子育ての流儀だったのだ。

 愛子さまは、ご夫妻の期待通り、徐々に「自覚」を持つようになった。

 皇居の門を車で出入りする時、皇族方はほぼ毎回、車の窓ガラスを下げ、手を振る沿道の人たちに会釈や笑顔を投げかけるのだが、いつの頃からか、愛子さまも笑顔で会釈されるようになった。

 高校生になると、まるで別人のようだった。お父さまが天皇に即位されてまもない2019年夏。那須の御用邸に向かう那須塩原駅の駅頭で、愛子さまの「成長ぶり」を実感したことがある。ご一家は、すたすたと人波に歩み寄り、30分以上、会話を楽しんだ。健康的に日焼けした愛子さまには、地元の女性たちから「ずいぶん焼けましたねえ」と、声がかかった。

 愛子さまはすぐさま、こう返した。

「そうなんです。でも(那須の御用邸の前に訪れた)須崎(御用邸)ではもっと焼けていて、もう、一皮むけちゃったんです」

 どっと笑い声があがった。つられて両陛下も声をあげて笑った。

 同世代の高校生と、夏休みの課題をまだ済ませていない、これから頑張らないと大変なことになる、という共通の話題でも盛り上がっていた。

獣医を断念した理由
 年月を振り返ってみたい。

 01年12月。愛子さまが生まれたのは天皇陛下が皇太子時代、雅子さまと結婚して8年後のことだった。

 待ち望み、待ち望み、待ち望んだすえの、我が子だった。

 02年4月、出産後の最初のお2人での記者会見で、雅子さまは、

「(出産後)初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子どもの姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」

 と、涙を抑えながら話した。出産を体験した多くの女性が共感する言葉だろう。

「生命の誕生はなんて神秘的で素晴らしいことか」「生まれたての子どもの生きる力を目の当たりにし、子どもというのは生きるために、そして親に愛されるべくして生まれてくるんだということを強く感じました」とも述べた。

 愛子さまは今回の記者会見で「生んでくれてありがとう」と述べたが、この言葉は、20年前の母雅子さまの感想に呼応した、娘から母へのメッセージである。

 関係者によると、雅子さまは、生命の大切さや神秘さに、とても敏感な子どもだったという。

 中学高校と、命の尊さを教えるカトリック系の女子校で学んだが、それ以上に、小さい頃からずっと自宅や学校で、動物を育てて来たことが大きいと思う。

 モルモット、ハツカネズミ、カメレオンや蚕まで自宅で育て、世話をした。蚕は、絹糸を繭から取る段階では殺さなくてはならないが、雅子さまはそれがつらくて、全部、成虫の蛾にしてしまっている。小学校の卒業文集には「じゅう医さんになりたい」と書いているが、その後、獣医になった知人から、獣医になるためには動物の病気の研究で多くの動物の命を犠牲にしなければならない、と聴かされ、断念している。

「男子を産む」という責務
 皇太子さまとの結婚を受諾する段階で、雅子さまは「皇太子妃」の責務をよく自覚していたという。男子のみに皇位継承権がある天皇家では、「男子を産む」責務がある。わかっていたからこそ、考えに考えた末、覚悟の上で、プロポーズを受諾した。赤ちゃんは何人でも産む心づもりだったようだ。



 元朝日新聞記者・皇室担当の斎藤智子氏による「 愛子さま20歳のお覚悟 」の全文は「文藝春秋」2022年5月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。
(斎藤 智子/文藝春秋 2022年5月号)


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Posted by おだっちの菜の花油 at 07:05Comments(0)思  い