さぽろぐ

日記・一般  |その他北海道

ログインヘルプ


2009年08月31日

日本のケネディが目標達成

 --------------------
   「自民失政への罰」米主要紙が分析
 --------------------

 日本の総選挙での民主党の圧勝について、各国メディアはトップニュースで伝えるなど高い関心を示した。

 米主要紙は、民主党の勝因は同党への期待ではなく、経済政策の失政などで支持を失った自民党への「罰」などと報じた。ワシントン・ポスト紙(電子版)は、民主党の勝利は「自民党に罰を与えたかったようだ」と伝え、「有権者は民主党の公約が実現可能か懐疑的にみている」と論評した。

   ◇「日本のケネディが目標達成」…独紙

 独フランクフルター・アルゲマイネ紙(電子版)は鳩山由紀夫・民主党代表をケネディ米大統領にたとえ「日本のケネディが目標を達成」と報じた。「出自と公約の矛盾が有権者を遠ざけることはなかった」とした。

 フランスのフィガロ紙(電子版)は30日までに、民主党の公約を分析。子ども手当の支給などを例に「民主党は、社会的不公正に挑戦する意向だ」とした。

   ◇「靖国」の姿勢評価…中国・韓国紙

 中国では鳩山代表の「進歩的歴史観」が期待されている。31日付の中国各紙は歴史問題に関する鳩山発言を掲載、日中関係安定化へ期待をにじませた。

 新華社通信によると、鳩山代表は02年6月当時、江沢民国家主席(当時)と会談し「日本は侵略戦争の歴史を真剣に反省すべきだ」と語った。今年6月には中国の崔天凱駐日大使に「靖国神社には参拝しない」と明言したと紹介した。

 中国国内には日本との領土問題や自衛隊の活動活発化への警戒感が根深く、民主党への政権交代で「鳩が舞う」(北京晩報)などと平和路線への期待が高まっている。

 韓国では、31日付の有力紙が歴史問題などで両国関係に良い影響を与える、との期待感を示した。

 朝鮮日報は選挙結果を伝える1面トップ記事で、首相や閣僚が靖国神社を参拝せず、国立追悼施設を建立することで「(両国間の)葛藤(かっとう)の原因をなくすと(民主党が)公約した」と伝えた。

 【8月31日配信 毎日新聞・ワシントン古本陽荘、パリ福原直樹、北京・浦松丈二、ソウル大澤文護】



 お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。
    にほんブログ村 地域生活ブログ 北海道情報へ  
Posted by おだっちの菜の花油 at 17:04Comments(0)

2009年08月31日

比例復活の大物 疲労濃く

   -----------------
    「初心に帰って」
     比例復活の自民大物、疲労濃く

   -----------------     

 落選したり、辛くも比例選で復活当選を果たしたりした自民、公明両党のベテランや話題の議員たち。一夜明けた31日、それぞれが敗戦の弁を語った。

 「小泉政権下の構造改革が断ち切られ、政策がブレたところに審判を受けた」

 「小泉チルドレン」として注目を浴びながら、東京5区で民主元議員の手塚仁雄さん(42)に敗れ、比例復活も果たせなかった佐藤ゆかりさん(48)はこの日朝、自民党の歴史的大敗について冷静に分析した。

 だが、自身の敗因について問われると「逆風の時こそ、後援会のような組織が必要なのに、作れず(地元に)根を張れなかった」と声を落とした。

 一方、北海道5区で敗退したものの、復活当選した前官房長官の町村信孝さん(64)は、安堵(あんど)の表情。

 午前9時20分頃、支持者へのあいさつ回りのため自宅を出たが、激戦の疲れか、眠たげで「安堵の気持ちと責任の重さを感じている」。

 31日未明には、道内でただ一人小選挙区で当選した新人の伊東良孝さん(60)に「あなたの当選で滑り込めた。ありがとう」とお礼の電話をしたという。

 元幹事長の武部勤さん(68)は午前6時45分頃、北海道北見市内の自宅前で「本当に厳しい戦いだった」と振り返った。

 小選挙区での敗因について問われると、「敗れて復活したというとらえ方よりも、不撓(ふとう)不屈の精神が地元のみなさんと一つになった(と考えたい)」と負けん気を見せたが、表情は硬く、姿勢も直立不動のまま。「初心に帰って頑張りたい」と神妙に語った。

 やはり比例復活した消費者相の野田聖子さん(48)は、一睡もしないまま、昼前から岐阜市の事務所で記者会見。

 「麻生政権ではなく自民党にNOと言われた結果だと思う。森政権の時に問題が起きたが小泉政権に変えて延命した。ただ、それは終わりの始まりだった」と話した。
(8月31日(月)配信 読売新聞)



 お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。
    にほんブログ村 地域生活ブログ 北海道情報へ
  

Posted by おだっちの菜の花油 at 16:56Comments(0)

2009年08月31日

選挙戦のスキに

  ------------------
    西川日本郵政社長
    選挙戦のスキにやりたい放題

 ------------------

 政治家が選挙戦に気を取られているスキを狙って、日本郵政グループの西川善文社長がやりたい放題だ。

 27日に西川社長の側近であり、不正売却が疑われている「かんぽの宿」の実行部隊である“チーム西川”のヘッド、横山邦男専務の退任が発表され、9月30日付で姿を消す。

 残る3人も順次辞める予定だが、「すみやかに辞めてもらう」と6月に佐藤勉総務相が言明した指示から3カ月も経ってシブシブ承諾したのだからふざけてる。

 西川社長の横暴はこれにとどまらない。

 日本郵政が日通と共同出資する宅配便事業会社JPエクスプレスへの出向人事を9月1日に発令しようとしている。この人事をめぐって、6日にやはり佐藤総務相が「待った」をかけたにもかかわらずだ。

 同日に発表した日本郵政グループの「会長」人事も西川社長の思いのまま。外部から人材を起用する約束だったのに、結局、社外取締役の西岡喬氏(三菱重工業相談役)の“内部昇格”で済ませてしまった。

 郵政関係者がこう打ち明ける。

「西川社長は、民主党政権になっても辞めるつもりなどサラサラありません。政治家が選挙戦で日本郵政への関心が薄れているのをいいことに、着々と民営化を進めている。そうすることで、政権を取った民主党が解任しようとしても、実績を強調してハネつけようとしているのです」

 しかも、西川社長は、民主党の支持母体で、約23万人という日本最大のJP労組を味方につけている。

 民主党の岡田克也幹事長は今回の会長人事に「選挙戦の最中、政権交代がありうる中で、バタバタ(人事を)やることには非常に違和感を持っている」と批判したが、労組を敵に回して戦うことになる。何とも厄介だ。

(8月31日(月)配信 日刊ゲンダイ・日刊ゲンダイ2009年8月28日掲載)



 お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。
    にほんブログ村 地域生活ブログ 北海道情報へ
  

Posted by おだっちの菜の花油 at 16:44Comments(0)

2009年08月31日

難攻不落の牙城に

  --------------------
    大逆転 冬柴王国崩した…総選挙
  --------------------

 ◆ 難攻不落の牙城に風穴を開けた。

 新党日本・田中康夫氏(53)が、兵庫8区で中選挙区時代の1986年から7期、23年にわたって当選してきた公明党・冬柴鉄三氏を撃破した。

 当選確実が出た直後の会見で「人情味、正義感の街、尼崎の皆様と長いモノに巻かれない勇気を持って、本物の日本の改国を!」と声を張り上げ、クラッカーを鳴らした。

 劣勢といわれた状況から猛烈な追い上げで奇跡の大逆転に転じた。

 長野県知事選、参院選でも貫いた地道な選挙活動を、この尼崎でも崩すことはなかった。選挙カーのように高いところには上がらず、有権者と同じ目線に立ってアピール。

 「人格攻撃をしても仕方ない」とライバル候補への口撃は一切せず、のべ80か所で自分の手でマニフェストを配り、靴を履きつぶした。2000年の県知事選で痛めた右足の状態はよくなかったが、引きずって戦った。

 序盤から厳しいヤジが飛び、選挙事務所も何度も契約寸前にこぎ着けながら、翌日になるとなぜか話はつぶれた。それでも「実は話を一番聞いてくれている」乗車待ちのタクシー運転手や赤ちゃん、犬や猫にも「ワンワン、ニャンニャン」と積極的に呼びかけた。

 次第に有権者は足を止め、耳を傾けるようになった。「尼崎を変えてください!」と手を振ってくれる有権者は増え、田中イズムは浸透していった。

 この選挙選中、悲しい別れがあった。12日に親友の俳優・山城新伍さん(享年70歳)が死去。

 20年以上前にテレビで初共演し、その後に各方面に「おもろいやつがおる」と推薦してくれたのが山城さんだった。「僕を最初に関西に呼んでくれたのが山ちゃんだったからね…」。

 くしくも山城さんの密葬が執り行われたのは公示の18日。悲しい別れは、田中氏にとって、出陣の日でもあった。

 長野県知事、参院議員を経て、今度は「尼崎ドリーム」の実現へ。さまざまな思いを胸に、新たなスタートを切る。
(08月31日/ 提供:スポーツ報知)



 お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。
    にほんブログ村 地域生活ブログ 北海道情報へ
  

Posted by おだっちの菜の花油 at 16:29Comments(0)

2009年08月31日

事実上の辞意を表明

  -----------------------
    公明党・太田代表、事実上の辞意を表明
  -----------------------

 衆院選で代表、幹事長の落選という「結党以来の大敗」から一夜明けて、公明党の太田昭宏代表は31日午前、東京・南元町の党本部で記者会見した。

 太田氏は自身のほか、北側一雄幹事長、冬柴鉄三元国交相と党首脳を含めた8小選挙区で全敗、10議席減という選挙結果には終始、厳しい表情だった。

 太田氏は会見で、執行部の進退と後任人事について、3日の党常任役員会で協議したうえで「(15日召集予定の)特別国会にはきちんと何らかの者を出さなければいけない。特別国会を念頭に置きながらよく相談したい」と表明。

 事実上の辞意を言明するとともに、遅くとも15日までには新役員を選出したいとの考えを示した。北側氏も「(進退は)代表にお任せする」と述べ、辞意を表した。

 さらに、太田氏は「大逆風をはね返す党自身の力量が足りなかった。心からおわび申し上げたい。責任を痛感している」と明言。

 次期衆院選については「捲(けん)土(ど)重来を期したい。当然、次の選挙戦はそういう考えで挑むのが基本だ」と述べ、政界引退は否定した。北側氏も同様の考えを示した。

 民主党との関係については「選挙中に指摘した財源、政策の整合性、一貫性の問題がある。政権運営がどういうふうに行われるか見守り、それから対応ということになる」と強調した。
   (2009/08/31配信元:産経新聞)




 お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。
    にほんブログ村 地域生活ブログ 北海道情報へ
  

Posted by おだっちの菜の花油 at 16:03Comments(0)

2009年08月31日

自公落城

  ---------------------
    自公落城(上)奈落の底に漂う虚脱感
  ---------------------

 歴史的な大勝を果たした郵政選挙から4年、自民党は一転して奈落に突き落とされた。

 小泉純一郎元首相の「自民党をぶっつぶす」との言葉は8年を経て現実となったが、あまりの惨敗に党執行部は茫然(ぼうぜん)自失の状態となっており、党再生に動き出すにはまだ時間がかかりそうだ。

 半世紀にわたり、ほぼ政権の座を独占してきた巨大政党がこれほどもろく崩れるのか-。
 30日の自民党本部は不気味な静けさに包まれた。

 4階の記者会見場は投開票日用に改装され、自民党公認候補の名前を書いた真っ白な開票ボードが掲げられたが、国会議員の出入りはほとんどなく、党職員らが足早に出入りするだけ。午後になり、マスコミ各社の出口調査の途中経過が漏れ伝わるとますます重い空気が広がった。

 午後7時、細田博之幹事長が険しい表情で党本部に入った。記者団に「結果が分かるまで何も言えない」とだけ語り、幹事長室にこもった。45分後、細田氏は裏口からひそかに党本部を抜け、首相公邸に入った。辞意を伝えるためだった。

 午後8時、投票が締め切られたが、記者会見場に現れたのは菅義偉選対副委員長1人のみ。テレビ各社が自民党惨敗の出口調査結果を次々に報じると「まさかと思っていたが、これが現実なのか。

 目に見えない地殻変動が起きていたのではないか。私たちは国民目線から遠くなっていたのか」と絶句した。

 細田氏が首相公邸から党本部に戻ってきたのは午後8時半すぎ。厳しい表情で記者会見場に入り、おもむろに開票ボードに赤いバラを付け始めた。党職員がパラパラと拍手し、後は再び「お通夜」のような沈黙が続いた。

 首相が党本部入りしたのは午後10時。1階エントランスで記者が「この結果をどう受け止めますか」と声をかけたが、厳しい表情を崩さず、右手を軽く挙げて職員らにあいさつすると、4階の総裁室に入った。

 「国民のみなさまの声を真摯(しんし)に受け止め、反省にたって出直さなければならない。各候補者は極限まで頑張ったが、このような結果になり、自分の力不足を感じている。経済対策は道半ば、断腸の思いだ…」

 午後10時14分、記者会見場に現れた首相はこう語った後、「速やかに総裁選を行い、決めなければならない。私は今後一党員として自民党再生に力をそそぎたい」と辞意を表明した。

 首相は意外なほどそのさばさばした表情だった。敗因については「自民党に対する積年の不信や不満をぬぐい去ることができなかった」と分析した。

 ただ、昨秋に解散を引き延ばしたことが惨敗の遠因になったとの指摘には「経済危機を迎え、政局より政策を優先させたのは間違っていなかった。私ども国民の暮らしを守るためにやった経済対策は決して間違っていなかった」と頑として譲らなかった。

 自民党は、首相経験者や幹事長経験者や各派領袖ら大物議員が続々と落選し、党再生の筋道をつけるどころか、今後の党運営のメドさえつかない状況に追い込まれた。

 首相は辞意を表明したが、党総裁の任期を9月末に控え、大がかりな総裁選を実施する余裕はない。

 特別国会までに総裁選を実施できなければ、特別国会の首相指名選挙で自民党議員は辞意表明した首相の名を書かなければならない事態も十分想定される。次期総裁についても「ポスト麻生」は絞り込まれておらず、さらなる混乱も予想される。

 なぜ自民党はこれほど凋落(ちょうらく)したのか。「政権交代」の風は予想以上に強かったが、突然吹き始めたわけではない。むしろ自民党は長い年月をかけてむしばまれてきたのだ。

 小泉純一郎元首相の登場で息を吹き返し、郵政解散でピークを迎えたが、その後は支持率の長期低迷状態を総裁をすげ替えることでしのいできた。

 だが、「国民政党」「改革政党」を目指すあまり、各議員の思想信条は右から左までバラバラ。内政・外交とあらゆる政策で足並みがそろわず、混乱を繰り返してきた。

 そんな自民党の体質に国民は嫌気がさし、「NO」を突きつけたのが平成19年夏の参院選だった。にもかかわらず、その後も党の体質を改善できなかったことが今回の惨敗の要因になったことは否定できない。

 首相は党再生への道筋を問われ、こう答えた。

 「自民党は保守政党だ。守るべきものは守るために変えるべきものは変える。家族であり、地域であり、国を守る。日本の寄って立つ基盤は保守的なものだ。これを肝に銘じなければならない」

 保守政党として再出発できるか。自民党は岐路にさしかかっている。
(2009/08/31配信元:産経新聞)


 お読みになりましたらぜひクリックをお願いします。
    にほんブログ村 地域生活ブログ 北海道情報へ
  

Posted by おだっちの菜の花油 at 16:00Comments(0)